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野田 千絵

コソダテの学校 3919代表

『キャリ女からの孤育て ~コソダテの学校3919で「親になる」を支える』

毎日、子育て、本当にお疲れさまです。
子育てがこんなに大変だったなんて、生まれるまで誰も教えてくれなかったですよね。

毎日がぶっつけ本番で、毎日がもうとにかく大変で、必死で、戦いで、夫とは敵なのか戦友なのかもはやわからないくらいの相手になったり・・・
何から何まで「え?聞いてないし!?」の連続。

どんな寝かせ方がいいのかひたすら検索したり、
ちょっと頭に何かにぶつかっては検索したり、
身体が柔らかすぎると思えばまた検索したり、
夫の帰りが遅すぎてイライラしても検索したり、

そこに答なんてないことはわかっていても、なんだか検索して落ち着かせていたり不安になったり、そんなことの繰り返しをしてるうちに、子どもはどんどん成長して、そして自分はそれについていくのに必死で、キラキラしたママをみては比較して、自分はまるで対極にいるような気持ちになって・・・。

私もまさにその一人でした。

第一子の子育ては10年前に始まったものの、今皆さんが悩んでいることとあまり変わらない日々を送っているような気がします。
子育てを始める前は都内の広告代理店でキャリアを夢みる仕事が大好きな女子でした。

毎日遅くまで仕事して、そのあと遅くまで飲みに行き、二日酔い抱えながら朝起きて、シャワーを浴びて仕事をする日々。素敵な先輩たちと一緒に大きなプロジェクトをすることが私の喜びであり、ステータスでもあり、自分ってイケてる!とすら幸せな勘違いができるほど楽しい日々。結婚してもその生活は変わることはなく、「いつか子どもを…」と思っていましたが、やはり「今は仕事したいな」と結局その気持ちはいつのまにか流れていました。

そんな生活が数年経ったある日、妊娠が発覚。
「え!?私が親になるの?」という不安やワクワク感が一気に押し寄せたもののまだ全然実感のないまま、相変わらず仕事の日々を送るのですが、だんだんと大きくなるおなかに、全然気持ちがついていけませんでした。
「妊娠は素直に嬉しい、だけど、だけど、この楽しい生活が終わっちゃうの?もう仕事できなくなるの?キャリアはもう終わったの?」
ただただわからない感情が押し寄せ、毎日涙していました。
今思うとこれがマタニティブルーとかマタニティ鬱だったのかなと振り返ることができますが、当時の私はただただこの先の不安に押しつぶされそうでした。

今思えば私にとって仕事は自分のなかで自分を表現できる砦のような存在でした。
仕事を頑張れば評価される。
仕事を評価されれば私の価値が上がる。
むしろ、私は仕事があるから存在意義がある。
といったように、当時は私の存在そのものを自分でなかなか認めるということが、まだできていなかったのです。

「そんなわたしが親になるなんて!」
どうやって育てたらいいのかなんて全くわからない!私だってまだまだ子どもなのに!とインナーチャイルドが叫びながら何か足掻いてる。そんな妊娠生活でした。

産休直前まで飛行機に乗って出張に行く日々。
産休になりようやく自分と、そして赤ちゃんと向き合うことになりました。
しかし夫は海外出張も多く、仕事も忙しく、ほとんど家にはいませんでした。
毎日夫がいないこの状態でこのまま都内で生活することが、だんだん不安になってきたのです。

里帰り出産を機に実家のある伊豆へ、夫と共に転居しました。
産後は実家に甘えっぱなし、母や妹に頼りっぱなしの生活で「あ~子育てって余裕~」とすら思っていた産褥期でしたが、そんな夢の生活は数カ月で終わりを迎えます。

夫と3人の暮らしが始まると同時に、始まる夜泣き。
寝ない、寝れない…
お風呂ってどうやって入れるんだっけ?
泣くから全然自分が洗えないし!湯舟なんてゆっくり浸かれないし!
あれ、なにこのブツブツ…、どうしたんだろう、真っ赤じゃん・・・
帰ってこない夫。
睡眠不足とイライラと不安とで、毎日がもう押しつぶされそう。

毎日毎日泣き叫ぶ娘。
もう!静かにしてよ!叫ぶ私。
思わず床に落としそうになる、こうしたら楽になれるかな…
いや、だめだ、それだけはだめ。
何考えてるの、私…

だめだ、限界だ。

引っ越しの段ボールが開かれていないまま、ひたすら「ベビーシッター」で検索しても、当時、この地域で出てくるのはせいぜい1~2件。“前日予約”と書いてあってもダメ元で「今来てください。もう今じゃないと無理です。無理なんです。」と泣いても声は届かず。

「役場に電話してみてください」と言われても、
なんで?役場?役場が何をしてくれるの?役場ってセーフティネットだよね?
そこに頼るって私がまるで支援が必要な人みたいじゃない?
育児が出来ないダメな親だと思われるかもしれない…そんなの嫌!
私は今ちょっと大変なだけなの。今ちょっと手が欲しいだけなの…

もう、必死でした。
とにかく、全てに。

誰かに頼ることは、自分が「できない」っていうのを明らかにすること。
みんな頑張ってるこの子育てを、どうして私はできないんだろう。
どうして、私だけが出来ないんだろう。

みんなキラキラしてて、笑顔で、かわいくて、
どうして私だけがボロボロなんだろう。

自己嫌悪の世界へ突入していた私を救ってくれたのは、都内で医者をして産後この地域へ移住してきたママとの出会いでした。
私と同じように仕事大好き!遅くまで飲んでおじさん生活(笑)をエンジョイしていた彼女は今十分キラキラ輝いているのに、「私出産してキャリア終ったと思ったし、本当に産後孤独で虐待寸前だった」と話してくれたのです。

 私だけが大変だったんじゃないんだ。
 子育てが上手にできないのは、私が悪いわけじゃないんだ。
 まして、子どもが泣き止まないのは、私のせいでもなんでもないんだ。
 こんなに子育てを一人でただただ不安にしている自分たちのような人がいるなら!
 そんな人を一人でも減らしたい!
 子育ては大変だって声に出してもいいじゃないか。
 子育ては一人でやってはダメだって、声にだしてもいいじゃないか。

一気に!一瞬で!文字通り開眼したのを覚えています。

彼女と出会ってから私は、
ママたちがもっと気軽に外に出られるように!
親だって完璧じゃないもの!育児って大変って声に出してもいいよ!って言いたくて、
ママたちのコミュニティを作り、行政を巻き込んで多くの仲間に支えられていきます。

「自分だけじゃなかったんだ」
「大変…辛い…って思うのは悪いことじゃない!」
「一人じゃ子育てできないって本音を言えなかった」
みんなからの声をもらうのが嬉しくて、私たちはただただ共感し合いたくて、その一心で活動を広げました。

あれから10年近く経った今、私は仲間たちと地域の中に小さな小さなお店を営んでいます。
赤ちゃんを連れたママパパがふらっときて、ちょっとした悩みを話してくれたり、中学生を育てる先輩ママから子育ての話を聞いたり、思春期の相談をしあったりする《カフェ》、医療関連の専門家から子どもの発達やママの身体ケアの知識が得られる《講座》、子育てにまつわるテーマを持ち寄りおしゃべりする《コミュニティ》を軸に運営しています。

お店にくるママたちはみんなキラキラして可愛らしくてとっても素敵。
だけどやっぱりみんなそれぞれが一生懸命に日々のぶっつけ本番に体当たりで必死に子育てしています。

誰一人「支えてほしい」と言いません。
私たちも「支えている」という感覚はなく、共に楽しい時間を過ごしている、そう思っています。

だけど、心の中ではいつもこう思っています。
「いざという時の心の支えになりたい」

(人に迷惑をかけちゃいけない)と思っていた私はかつて、人に頼ることが出来ませんでした。(人に頼ることはダメな自分を認めること)そう思っていた私は、勝手に頼ることを自分に禁止していました。

だから誰にも頼れなかった。
だから一人で閉じこもっていた。
だからとてつもなく孤独で、とてつもなく辛かった。

そう思ってしまう親を一人でも減らしたいと思っています。
ほんのちょっと誰かと子育てを話して「うんうん、がんばってるよね、私たち」って思える場でありたいと思っています。
笑顔の奥にあるその努力を、ちょっとでも共有できる場所であったらいいなと思っています。

産後は誰もが予測していない事態に陥る可能性があります。
「あ、まずいな、疲れてるかも、いつもの自分じゃないかも」とちょっとでも思ったら、必ず誰かの助けを必要としていいと思います。誰かに支えを求めることは、弱いことでも何もない。ダメなことでも何もない。
頼ることは、目の前のか弱い無力な生き物を守り抜くために必要な知恵であり、大切な行動だと思うのです。

行政に助けてと言えなかったら、近所に散歩して八百屋のおばちゃんと話せばいい。
スーパーでの大泣きが不安だったら、ただただ散歩して小さな商店に入ればいい。
郵便局に行けばいい、保育園の前を通ればいい、公園に行けばいい、どこでもいいから外に出て、外の空気を吸ってほしいと思うんです。
家族や信頼できる友人に30分だけ預けて、その間昼寝してもいい。その間好きな本を読んでもいい、近くのカフェに行ってもいい、コインランドリーで洗濯してもいい、スーパーで好きなお惣菜を買ってもいい。

本当に何でもいいんです。
どうか、《本来の自分を取り戻す時間》を、ほんの5分でも10分でもいいから確保してもらいたいなと心から願っています。

預ける事にハードルがあるかもしれないし、どこに行っても泣いてしまう不安から行動することが怖くなることも本当によくわかります。
だけど、みなさんのその一生懸命子育てする姿を見るその目は、実はみんな温かいということを知っていてもらいたいと願っています。
「あらあら大変ね、頑張ってるのね」ってなかなか声をかけられなくても、みんな心の中でそう思っています。「泣いちゃったのね、よしよし、かわいいねぇ」ってみんな心の中で思っています。「頑張ってるね、えらいね、えらいね」って言いたくて言いたくてうずうずしています。(私含め周りは本当にそう!)

もしかしたらどこかには(うるさいな)と思っている人も中にはいるかもしれません、でも!そんなことは気にしなくていいんです!

赤ちゃんを産んで育てるっていうことは、本当に本当に素晴らしい偉業をしていることを誇りに思ってもらえたらと思っています。どんな偉そうにしている大人もみんな、もとは赤ちゃんだったんだよなって思うと、ちょっと不思議な感覚になりませんか?笑

みんなが当たり前にやっているように見えるその子育ては、やったことがある人しかわからない凄さ、大変さ、悦び、悲しみ、嬉しさ、もう混沌とした感情があるはずです。

その経験をしたからこそ、人としての深みや厚みが出るんじゃないかなって思うんです。
こんなにも誰かのことを愛したことあったかな(夫ごめん…笑)
こんなにも誰かと毎日毎日くっついて過ごしたことあったかな
こんなにも一分一秒必要とされて愛された事あったかな…

子どもと過ごす日々の中でたくさんのものを実はプレゼントしてもらっていると、子育てがもう終わりに差し掛かってきた今だからそんな風に思えます。

私はもう、わが子があと何回抱っこしてくれるかな、あと何回大好きって言ってくれるかな、あと何回手をつないでくれるかな。そう考えるだけで本当に涙が出そう!
皆さんはそんな先のことはまだ考えることもないかもしれませんが、いつか終わりが来るって思うととてつもなく切なくなるんです。
(だからきっと先輩方は赤ちゃんの親たちに「今だけよぉ~」っていうんでしょうか。笑
その言葉を聞くたびに、「今だけ」って一体何年続くんだろう。この「今」が大変なんですけど…ってずっと思っていました。)

だけど改めて思います、その時期って本当に「今だけよぉ~!」(笑)

あなたの人生のその「今」を幸せにするために、笑顔でいるために、“誰かの支えを必要とすること”は素晴らしい行動だと私は思います。それは自分のためだけでなく、赤ちゃんのために、家族のために、そして声を上げられない誰かのためになるからです。

誰だって、親になるのは初めてだから。
誰だって、完璧な人なんていない。

人の弱さを知っている私たちだから、いろんな人に支えられながら、ゆっくりゆっくり親になっていくのです。支えられた分だけ、助けられた分だけ、人に優しくなれる。そういう循環で《優しい社会》になっていくんじゃないかなって思っています。

KosodateSchool3919

「親になる」を支えるコソダテの学校3919

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