「とある自閉っ子の成長記録」
はじめまして。私は、茅ヶ崎市で普通の家族のお母さんをしています。そんな私にコラムを書かせていただける機会を与えていただき、ありがたく思っています。読んでくださる方にとって、少しでも知るきっかけや、お子さんとの温かい時間を持つ助けになれたら幸いです。
私には、この春小学生になる男の子と年少組の女の子の二人の子どもがいます。息子には、「自閉症スペクトラム症」という個性があります。今は幼稚園の先生方をはじめとするたくさんの方に支えられて元気に過ごしていますが、この6年間色々なことがありました。今日は、今に至るまでの彼の成長と親子の奮闘をお話させてもらいたいと思います。
息子は、ごく普通に38wの妊娠期間を経て生まれてきました。首すわりなどすこーし人より遅いかな?くらいで、4ヶ月検診、7ヶ月検診は特に問題もなく終わりました。「この子はちょっと違うな」と思い始めたのは1歳〜1歳半くらいの頃。支援センターで遊んでいても、人と交わることを嫌がる。指差しをせずに、要求したいことは親の手を使って示す。(クレーン現象と言います)言葉が出ない。
気にはなっていましたが、下の子を妊娠し、21wからずっと入院していた私にできることは特になく…。そんな中で2歳を過ぎた頃から、自傷が出始めました。嫌なことがあると、地面や壁などに激しく頭を打ち付け、コンクリートに強打して服が血だらけになったこともあります。その後頭だけではなく膝を強くぶつけることも増え、5歳になる直前くらいまで続きました。音に過敏で(聴覚過敏)苦手な音も多く、よく耳を塞いで辛そうな顔もしていたし、汚れることが嫌いでお砂遊びも苦手、服に1滴ついた水滴も許せずにすぐに着替えたくて泣いて暴れながら服を脱ぐ。知らない場所には入りたくない。こだわりも強く、エレベーターを見ると乗りつづけたくてその場から離れられない…などなど、挙げればキリがないくらい色々ありました。
2歳半頃からいわゆる「療育」にも通いました。まずは保健所の親子教室から始まり、紹介を受けこどもセンターへ。そして幼稚園入園と同時に、児童発達支援センターにも入所し、週3日幼稚園・週2日児童発達支援センターへ通っていました。本人の希望で今年度は幼稚園のみに通園し、秋から週に1回新しい場所で療育に取り組んでいます。幼稚園を休んで朝から一日通う施設、夕方習い事のように一対一で課題に取り組む教室など、いろいろの形の療育があります。
発達障害自体が「治る」ということはないけれど、うまく付き合う方法を、本人も私達家族も日々探りながら生活しています。今までの成長の中での彼の困りごとをたくさん書いてしまったけれど、今は落ち着いて毎日を送れていると思います。
きっと今このコラムを読んでくださっている方の中にも、「うちの子、大丈夫かな?」という気持ちがあるお母さんやお父さんがいらっしゃると思います。そんな時は是非誰かに相談してみてください。様々な専門機関や窓口もあるし、ママほぐにもたくさん知識を持った方がいます。心配事を自分の中だけに溜め込むより、誰かに聞いてもらうだけでもきっと少し楽になるはずです。
何らかの障害があったとしても、先生をはじめとする周りの方の力を借りながら、考え方や理解の仕方のクセを見つけて、親にとってもこどもにとっても安心して暮らしていけるコツを見つけていけばいいと思っています。
(そして考え方のクセって、私たち大人もみんな一人一人違っているように、子供達だって障害の有無に関わらずみーんな違うと思うのです。)
もちろん、「そんな綺麗事いってられないわ!」という日もたくさんあります。
「みんな大変、というけれど、子育ての大変さは平等ではない」という言葉をかけてもらって、客観的に見てやっぱり大変なんだ、と安心したこともあります。
矛盾しているようですが、「やっぱり普通の子を育てるより大変」という気持ち以上に、「きっと大丈夫」という気持ちが今の私は強いです。
家族以外にも子ども達や私のことを理解して、一緒に遊んだり悩んだりしてくれる仲間の存在に助けられていることもたくさんあります。障害の有無に関わらず、子どもを育てていく中で大事なのは、そんな仲間の存在なんじゃないかな、と思います。
筆者プロフィール
あずさ
ふつうのおかあさん。
発達ゆっくりな息子と、やんちゃな娘と毎日過ごしています。
つかれたときにひといきつける近所のおばちゃん。そんなひとになりたいなぁと、思っています。
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