「自閉っ子が過ごした幼稚園生活から見えたもの 」
息子が、3年間お世話になった幼稚園を卒園しました。
思い返せば3年前。幼稚園見学はかなりたくさんの園へ足を運びました。療育にも通いたい、と相談すると、明らかに嫌な顔をされることが多い中、「全然大丈夫です!」と迎え入れてくれたのが今の幼稚園でした。
それでも正直、幼稚園に入るのが少し怖かったです。周りと比較して、みんなよりできないことがたくさんあるし目立つのが嫌…そんな気持ちが私にもありました。でも3年間、周りと比べることなく、「そのままでいい」と育ててくれる先生のおかげでそんな思いは全くしなかったし、私自身が息子をはじめいろんな子たちのありのままの姿、その子にとっての成長を見られるようになったと思います。
嫌だという意思表示がうまくできずにニコニコ過ごしてしまう息子に、「嫌な時にはこういう顔して、嫌だって相手の目を見て伝えるんだよ」とイチから教えてくれた先生方。嫌だって大きな声で言えた時には、いろんな先生方がその様子を報告してくれて、温かく見守ってくれているのが伝わってきました。
話し合いの場面などで、全然違う話をしても、発言したらいつも最後まで聞く、と決めて温かく見守ってくれていた先生。先生のその姿勢のおかげで他の子たちもいつも温かい気持ちで接してくれる。「人と違うこと」が決して悪いことではない。行事の時には、よく感じること。みんなと同じように出来ないことがたくさんあるなかで、頑張ってる姿を見てくれたいろんなお友達のおうちの方に「すごかったね」「がんばってたね」「かわいかったね」…たくさんの言葉をいつももらう。彼が彼らしく毎日精一杯過ごしてきて、たくさんの友達ができ、理解してくれる大人たちとの関係も作ってきた成果だと思う。そしてそれは、これから生きていく土台になることにちがいない、と確信しています。
幼稚園の先生は、いつも子どもたちと同じくらい私のことも大切にしてくれてどんな時でも受け止めてくれました。担任の先生は私にとっては、子育ての戦友のようであり、人生の伴走者でいてくれた三年間。「先生さえいれば安心」な幼稚園から外の世界への巣立ち。 だけど絶対大丈夫と思えるのは、息子のことも、私のことも、たくさんの愛を持って育ててくれたから。愛が満たされて、しっかりと根をはれたから。壁にぶつかった時には、先生の顔を真っ先に思い出すと思う。
そして、そんな環境で育った子たちは「障害」を障害と思っていないように思う。絵を描くのが得意な子がいる。苦手な子もいる。足が速い子もいれば、あまり速く走れない子もいる。話すのが得意な子がいれば、話すのは苦手な子もいる。上手に話せないなら、それ以外の方法を考えればいいだけ。目が見えない子がいれば、見えている子が伝えてあげればいい。
こどもたちは、大人が思うよりもずっと柔軟で、わかりあう方法を自分たちで探っている。いつもと違うことにすぐに気づく。どんな声をかけてあげたら相手が喜ぶのか知っている。困っている時に助けてあげる方法も知っている。それがスムーズに行く時もあれば、ぶつかり合って分かりあう時もある。そんな子どもたちに、自分の考えを押し付けるのではなく、そっと背中を押すような…むしろ押さないで後ろで微笑みながら頷いてあげるくらいの距離感で見守っていける大人になりたい。(ただの理想ですけどね…笑)
「そのまんま」のお友達を受け入れることが出来るこの子たちは、きっと壁にぶつかっても「そのまんまの自分」を受け入れられるはず。そんな風に感じられる子どもたちの雰囲気が確かにある。インクルーシブとか、障害、平等…そんな難しい言葉は必要なくて、ただただ目の前にいてくれる人を大切にする。たったそれだけの、シンプルなことできっといい。
きっと巡り巡って、自分にもほかの人にもやさしいまちをつくり、そんなまちが増えることで温かい世界ができていくと信じています。
筆者プロフィール
あずさ
ふつうのおかあさん。
発達ゆっくりな息子と、やんちゃな娘と毎日過ごしています。
つかれたときにひといきつける近所のおばちゃん。そんなひとになりたいなぁと、思っています。
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