「Motherhood~母であること~を喜ぶ、楽しむ、愛しむ」 #5 母は子の安全基地

SanaHashimoto Article

 子どもは、お母さんが完璧であるよりも、ほどほどである方が自立して育つことを知っていますか?ママが、私は完璧ではないけども私なりに一生懸命やっている、自分の子育てにある程度満足していること、そういう姿で日々子どもと向き合っていることこそが自己肯定感のある子どもを育てることにつながります。この連載では、日々小さなことで思い悩み、わが子にとって最善のことをしなくてはと思いながら、なんとかその日その日を生き延びているママたちに、肩の力をぬいてもいいことを考えるきっかけとなることを願っています。ママがママとして元気でハッピーであることが子どもの幸せの土台になります。“子ども時代”という言葉があるようには“お母さん時代”という言葉はあまりきかないけども、女性の人生の中でお母さんとして生きる時間は一部です。子にとっては四六時中母であるわけですが、私たちは母であり、妻であり、女性であり、娘であり…等々。その時間をどう生きるかはその人次第であり、筆者である私はサイコロジストとして、一人の母親そして女性として、すべてのママたちがその時間を幸せなものと感じてほしいと願いこの連載を僭越ながら届けたいと思っています。

#5 母は子の安全基地
今回は質問から始めてみたいと思います。先に読み進める前にちょっと答えてみてください。

しつもん. 今のお子さんに“お母さんて何色?”て聞いたらなんて答えると思いますか?
しつもん2. その色はあなたにとってどういう色、どういう感じを表しているものですか?

 やや心理テスト風ですが、心理テストなわけではありません。聞きたかったのは皆さんが、お子さんが皆さんのことを、お母さんのことをどんな存在と感じているかについて考えてみて欲しかったのです。つまり、お子さんにとってお母さんがどんな存在になっているか、もちろん本当のところはお子さん自身に聞いてみないとわからないのですが、ここで聞いているのはそれをお母さんである皆さんはどう受け取っているかを問うているのです。やや複雑ですね。相手が自分をどう感じているか、子どもがお母さんをどう感じているかをお母さんが感じ取っていること、とても大事なことと思います。それがネガティブなことでもいいんです。“「お母さんうざい」と感じているんだろうな”、と思うこと、そしてそれにしょんぼりしてみたり、そういうわが子をまるまる頑張っているんだなと感じてみたり、それにより、お母さんとつながっていられるんですね。お母さんを感じている自分を受け取ってくれるお母さんがいることで子どもはお母さんから受け入れられ、世界から受け入れられていると感じることができるのでしょう。時々振り返ってみると、あれ、ちょっとわからないわという時などは少し距離が空きすぎているのかもしれない。ちょっと近づいてみましょう。あれ、ちょっと前はあんなに居心地よさそうだったのに、今は暑苦しそうだわ、ちょっと離れて見守ってみよう。そんな風に関係を微調整してくれるお母さんがいるなんてなんて安心なことでしょう。

 子どもがうんと幼いときというのは子どもはお母さんの腕の中からお母さんを通じて世界を見ています。そこからだんだんといろんな能力を身に着け、子ども自身も世界と関わっていきます。少しずつお母さんから離れて、少しずつ距離を広げ、怖くなっては戻り、離れてお母さんの姿が見えなくなっては戻り、お母さんの気配が感じられなくなっては戻りを繰り返しながら安心して世の中と関わっていけることを実験しながら体験していきます。お母さんはまさに安全基地なんです。いつでも戻れるような安定した場であればあるほど、安心ですね。足元ぐらぐらしている基地は不安定で不安になりますね。管制塔があり、基地から離れても安全を見守ってくれたりしていると尚安心ですね。そしていつかその目を自分のものとして、その安定感を心の中に置いてどこにでも羽ばたいていってほしいですね。どれだけ遠くに、力強く自信をもって飛びたてるかは、基盤の安定感と関係があるように思います。私たち母としてできることは基地にいるときはその安全を保障し、ここにいれば安全であるという安心感を提供し、基地から旅立った時は基地から見えなくなるまで見届け見守り、心身が負傷したり、休息が必要なときにいつ帰ってきてもよいように場を整えて待っていることでしょうか。過干渉や放任が問題になるのは、どちらも基地を放棄してしまうからではないかと思います。過干渉は子が見えなくならないようにどこまでもついて行ってしまうこと、放任とは子が飛び立ったら早々に撤退してしまうことのように思います。どちらも、自力で世に出ようとする子どもに安定した基盤を提供することに失敗しています。子にとっては離れてもそこに戻る場所があるということを知っていることに意味があります。知っているということで母からもらった安心感を心に抱えて世に出ていくことができます。その感覚がまだ弱いうちはちょこちょこ帰ってくるでしょう、あるいはそう遠くまではいけないかもしれないですね。物理的に母から離れて行動できるようになる乳幼児から精神的な自立を果たす思春期から青年期に至るまで基地から見守っていてあげたいですね。母業とはなんて壮大なプロジェクトなのかと書きながら思えてきました。それでいてとてもやりがいのある幸せなことでもありますね。最後にまたしつもん。

しつもん.あなたにとって基地とはどのような場所ですか?そしてどのような基地であり続けたいと今改めて思いますか?

追記:しつもんに答えてみたところでの感想などぜひおよせください。また相談コーナーも設けてみたいと思います。連載のテーマに沿った形で連載の中でとりあげていきたいと思いますのでその点ご理解いただきお寄せください。

筆者プロフィール

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橋本 麻耶

サイコセラピスト、臨床心理士
PAS心理教育研究所非常勤セラピスト
某市 子ども発達相談巡回コンサルテーション講師

母は完璧でなくてもいい、ありのままの自分らしい母になろう。
 
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